johan

社会人兼東京理科大学の学生が人生観を綴る

#3

世の中は狂い始めているかもしれない。

 

コロナ禍によるコミニュケーションの減少によるものなのか、はたまた人類の退化なのか?私にとって母のように懐きたくなる友人ミランダと久しぶりに中華を食べに出かけた。ミランダは友人の紹介のような形で出会ったが、1度会ったきりしばらく会わずにいた。しかしある日私の住む街にたまたま引っ越してきたのだ。それも3ブロック程の場所だった。徒歩数分程度である。仲良くならないはずがない。

しかし彼女にも生活があり私にも生活がある。お互い引越しをし、たまにメッセージや電話のやり取りはあっても会うことは減っていた。彼女はある意味中毒性のある女性。美容ナースであり博識、人間らしくたまに毒舌。共にいると気持ちがいい空気が漂う。

久しぶりに会う彼女は変わらない。私の目に狂いはなかった、最高にハイクラスの女性だ。そんな彼女もしばらく会わない間にパートナーが出来たようだが、情事を伴っていないらしい。彼女はそれで充分で私の好きな水のような相手のようだった。正直羨ましくもあったが私には難しい。愛の情事は私にとって必要不可欠であり1日に何度でも出来てしまう、というより何度でもしたいのだ。不思議で仕方なかったが、彼女の周りは水で囲まれているようだ。

 

最近上手く行かないことが多い、寒さに身体がついて行かないのかもしれない。ベットの中は暖かい。しかし物足りないものがあるのは確かだ。愛猫のティムが横にいて擦り寄ってくれている。温もりが気持ちがいい。小さな温もりと共に全てを包み込んでくれる相手は今はそばにいてくれないのだ。コロナ禍で人に会う機会も減り笑うことも悲しむことも減っていって無気力になっている。所謂孤独感が強い、そういう状況なのだ。今日は全ての連絡を断ち切り孤独感に浸ってみた。これは良くない。なにかしなければいけない気にさせる。しかしながら無駄にハイテンションな努力をしてもそれは自己満足にしかならないのではないだろうか?根性論というのはあまり好きではない。意味を見いだせることのみに行動したいというのはワガママなのだろうか?

 

今日はクリームシチューを作ることにする。得意料理だ。なぜならこのメニューはミランダに教わったからである。さすが私が尊敬するハイクラスの女性。ピーラーの使い方も知らなかった私が、ジャガイモを包丁で剥けるようにしてくれたのだから。

 

 

 

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